琵琶湖畔の水面に映る夕焼けの空
京都府北部の丹後で生まれ、京都にある大学で山岳部に入部し岩登りに熱中する。卒業後も30才までヒマラヤ登山を目指し、漠然と将来山で飯を食って行けたらとアルバイト生活を続ける。冬の穂高屏風岩や錫杖岳の岩登り、1976年インドヒマラヤのマイクトリ峰、1980年インドヒマラヤのパンワリ・ダォール峰、バスキ・パルパット峰を登頂するなど、その頃の生活そのものすべてが山登りであった。
最初に山登りでインドに行ったあともインドに残り、ヒマラヤの小さな寒村の小学校でヒンディー語を学ぶ。この村での生活がインドにその後もかかわり続けるきっかけとなる。
1980年インドのデリーに滞在中、友人の勤めていた登山・秘境・シルクロードの専門旅行社の西遊旅行への入社を勧められ帰国後入社。アコンカグア峰、キリマンジャロ峰などの登山、アマゾン川やカイラス山のあるチベット高原の秘境、シリア、ヨルダン、イランなどのシルクロードのツアーなどを企画・添乗し40ヶ国以上の国々を訪問する。
40才を直前に退職して専門学校に勤める。転職を機に住まいを奈良から現在の仰木の里に変える。学校の仕事で米国中西部に滞在しているとき、ルアー・フライフィッシングに出会い、42才よりフライフィッシングを始め毎週欠かさず渓流や湖に出かけるのが日課となった。2001年1月1日よりフライフィッシングのホームページを開設して毎週更新している。
1994年、若者をインドに連れていきインドの生活を体験してもらおうと「インド体験移動学校」の企画を始め、現在まで5回続いている。インドデカン高原の小さな村で日印の学生が共に共同生活を送りレンガ塀などを建設するもので、幼少の頃インドから比叡山へ連れてこられ修行したサンガラトナ・マナケ師と共に活動を続けている。
この仰木の里に引っ越して来て、なぜか周りの風景が妙になつかしいと感じていた。仰木の里山で活動を続けておられた写 真家の今森光彦氏が1995年に写真集「里山物語」を発表して、この仰木の里山が日本人にとってのふるさとの原風景であることを知り、漠然と感じていたものが初めて理解できた。
2000年にマキノ町にある雑木林の手入れで今森さんに出会い、専門学校での学生のフィールドワークの活動の場として、仰木の人々の田園博物館「里山物語」構想の活動を紹介され、昨年仰木の人々と共に始めた「仰木の里山の雑木林を生き返らせよう」の活動につながった。
2001年5月、仰木で開かれたBE-PAL主催のビーパル青空教室「第4回今森光彦の里山体験塾」に地元スタッフとして飛び入り参加させていただき、田植えの経験や里山の自然観察、地元仰木の人々との交流など多くの体験をすることができた。それがきっかけで毎月2回、カメラを持ち仰木の里山の風景を取るようになった。
子供の頃の丹後の海での釣りから、自分の周りにはいつも自然があったような気がする。山登り、チベットやヒマラヤそしてアマゾン川や南極などの海外、フライフィッシング、エビネや東洋蘭などのガーデニング。そして、今の里山と常に自然にかかわるものの中で過ごしてきた。
これからも自然の中で今以上に遊んでいこうと思う。